1月 09, 2016 - 0 Comments - だってキリンだもん -

2-3:お別れ当日

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翌日の1月3日も通院しました。

昨日と同じようにソノウの処置をしてもらって帰宅したキリンは給餌を嫌がり食べようとしません。
0.2ccくらいしか飲まず、仕方なくケースに戻すことになりました。
運搬時に少しケースを温め過ぎてキリンに暑い思いをさせてしまったのが原因かも・・・もっと気をつけてあげてればなぁと反省しました。

午後4時頃に異変はおきました。
キリンのフンに鮮血が混じるようになったのです。
少量ですが、見てわかるくらいです。
それまでのフンの色は深緑だったのに、その色は一切無くなり、尿の白色と薬の黄色と鮮血。
慌てて病院に電話をしたら「止血剤は投与しているのでもう処置はできません、これ以上は入院となってしまいます。」と言われ、覚悟を決めました。
”連れてこい”と言われたらどうしよう?と悩んでいたのですが、”入院しかない”と言われてたら断固断る決心ではいたのです。
キリンは入院に向かない子なのです。
病院には「今夜は私が面倒を見て、明日、連れて行きます」と電話を切って、キリンを看取る覚悟をしました。

午後5時過ぎには、それまで「寒いよ」とプラケースを32度にしても寒がっていたキリンがピタっと羽根を体につけて寒がらなくなりました。
温度を25度にしても静かに両足でスッと立って微動だにしなくなりました。
呼吸もおとなしく、じっと目を閉じています。
瞑想しているようでした。

鈍感な私でも「キリンは旅立ちの準備をしているんだな。いよいよだな。」というのがわかりました。
もうこうなっては私が取り乱していても仕方ありません。
キリンが安心して旅立てるように「よし!普段の生活を感じさせてあげよう!」と夕飯の準備をしました。
元旦から病院で忙しかったので、キリンと旦那と三人でお正月をやりなおそうと思い、冷凍してあった鯛を焼くことにしました。

部屋の片付けも始めました。
ケースにカバーをかけて見えないようにしてから掃除機をかけて部屋を綺麗にして「おまちどう〜」とカバーをとったら、キリンが倒れていました。
もう動けないようでした。

慌てて保温カバーを取り払って、キリンをすくい上げると、体が異様に暖かかくて驚きました。
体に残った最後の熱量を放出しているようでした。
私の手で包み込もうとすると「暑いからイヤ」と言わんばかりに力の無い足で体をズラします。
呼吸が早くなって体全体でしているのに気がつき、別室でネットしていた旦那を呼びました「もうキリンはもちそうにないから、最後のお別れをしてあげてほしい」と。
旦那と二人でキリンを手の上に乗せて「頑張ったね」と声をかけて撫でてやりました。

しばらく手にキリンを乗せたまま、家の中を歩いて、生活の音を聞かせてあげました。
大好きだった秘密基地、水浴びした水道の蛇口・・寒くない範囲で声をかけながら家中の物と最後のお別れをさせてあげました。

午後7時頃になったら、小さく「プッキュ〜」とキリンは鳴いてから、目を大きく見開いて体をそらし始めました。
何度も体を反らせて、私の手から移動し、洋服を足で掴んで上に上に登ろうとします。
まるで、魂が肉体の呪縛の紐を引きちぎって抜け出るように見えました。
何度も何度も。
キリンの動きに合わせるように手を移動させて、「もういいよ、頑張ったね」「偉いね、頑張れ」と自然に声が出ていました。
ちっとも怖くありませんでした、むしろとても美しい光景に見えました。
魂が新しく生まれ変わる瞬間に立ち会ったように思えました。

私の掛け声に合わせるようにキリンは何度も体を伸ばして、最後に手のひらにペタリと伏せて、静かに息をひきとりました。
3日の午後7時15分のことです。
ちょうど鯛が焼きあがったのと同時でした。

その日は、キリンの遺体を食卓の前に置いて、焼きあがった鯛で「お正月、おめでとう」と三人でお祝いました。
急逝してしまったにもかかわらず、大晦日と新年とを一緒に過ごすことができてラッキーだったと思います。
翌日(4日)の午前9時30分にキリンの火葬の予約もいれることができました。
妙に安心して夕飯を食べている間、「これでキリンが生きててくれてればなぁ」と箱に入って寝姿になっているキリンを見て、無理だとわかっていながらも、そう思ったのでした。

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