昨日、テレビで”ターミナルケア”の話題を放送していました。
ターミナルケアとはいわゆる”ホスピス”の事です。
生き物は悲しい事に、いずれは体を神様にお返ししなくてはいけません、その最後の時をどのようにして迎えるか?その場所を提供するのがホスピスです。
「最後まで自分らしく心穏やかに・・・」とその先生は言っていました。
ふとそれを見て「あー、ペットにとって人間の家に迎えられるというのは、ホスピスを手に入れたと同じ事なんだなぁ」と思いました。
外の世界に住む鳥からすると「あーあ、カゴにいれられて外を自由に飛べなくてかわいそー」と最初は思うかも知れないけど、その固体の最後を迎える時に、いつもの環境でいつもの声を聞いて目を閉じられるという安息の心は味わうことができないんですよね。
その時になって初めてカゴの鳥をうらやましく思ったりして(鳥じゃないから本心は分かりませんが)。
飼われた鳥にしか味わえない幸せ・・・それを提供するのが飼い主さんなんです。
愛鳥の”死”を目の前に突きつけられて「最後の最後まで安心していてほしい」と改めて思いました。悲しいのは当たり前です、でも感情に流されてばかりでは飼い主の自覚が足りません。”生き物を飼うと言うことは最後の時まで安心して過ごさせてやる”って事なんですよね。「飼い主はまるでホスピスのようだな」と思いました。
「私はホスピスの運営者なんだ」そう思うと少し冷静になれます。まずは、本鳥(人)が幸せであるのが最優先ですから。それが”生き物を飼う”って意味なんです。ペットは必ず人間よりも先に天国に行ってしまいます。ある意味、育て主にとって残酷な幸せなのです(とっても幸せな時期もあるけれど別れがくる)。でも、そこから冷静に多くの事を学び、次の生命にお返ししてあげられるのも人間なんですよね。
・・・こう書くと何やら諦めているかのようにも読めちゃうんですが、これは自分が冷静になるための自己分析です。”まだ希望を抱いている心”と”何かあったら適切に処置をしてあげなければ”という看護の心が同時に自分の中に存在しています。小さな命を通して、立派な飼い主になりたいと願っています。